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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)6216号 判決 1984年7月23日

原告

横山隆一

右訴訟代理人

小野寺利孝

山下登司夫

二瓶和敏

戸張順平

石附哲

高山俊吉

梓沢和幸

渡辺清

斎藤義房

藤本えつ子

荒木和男

百瀬和男

志賀剛

藤森克美

田岡浩之

岩本洋一

川名照美

酒井幸

佐々木国男

野村和造

小林良明

友光健七

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右訴訟代理人

吉原歓吉

外五名

被告補助参加人

松田健一

渡部昇

右両名訴訟代理人

山下卯吉

武藤正敏

福田恒二

主文

一  被告は、原告に対し、金二九三万五五八六円及び内金二六六万八七一五円に対する昭和四九年三月二二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用のうち、参加によつて生じた部分の五分の二を被告補助参加人らの負担とし、原告と被告の間に生じた部分の五分の二を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告を下谷署に連行した経緯について

1  <証拠>を総合すると、次のとおり認めることができる。

(一)  原告は、昭和二五年三月一四日に生まれ、昭和四三年に都立忍岡高校を卒業した後、一年間経理学校で経理を学び、その後、昭和四五年から中央区新富町一丁目七番六号所在田村税務会計事務所に勤務していた者であり、昭和四九年三月の本件事件当時頃、体格は、身長一八五センチメートル、体重八五キログラムであつた。

(二)  昭和四九年三月二一日、春分の日の午後七時過ぎ頃、原告の友人会田勝幸は原告を誘つて一緒に飲むべく台東区竜泉二丁目一番八号所在の原告宅を訪れた。原告は既に軽く夕食をとつていたが、両名で台東区浅草のお茶漬屋「とみ」に歩いて行つた。とみに着いたのは、午後七時三〇分頃であつた。

原告は、長袖のポロシャツ、濃緑色のズボンを着用し、素足にサンダル履きというものであつた。

両名は、とみで、ビール(普通瓶)を四、五本、日本酒を銚子で約四、五本飲んだが、原告の酒量は、日本酒一升程度であつたので、原告は、とみでは、泥酔するには至らなかつた。

(三)  午後一〇時過ぎ頃、原告と会田はとみを出て、タクシーに乗り、会田宅の近くにある足立区梅田の寿司屋「藤寿司」に行き、そこでも両名でビール(普通瓶)二本を飲み、それぞれ刺身、にぎり寿司を食べた。

両名は、午後一一時三〇分頃、藤寿司を出て、会田は歩いて自宅に帰り、原告はタクシーに乗つて帰ることとした。

(四)  原告は、翌二二日午前零時過ぎ頃、タクシーで国際通りを北から自宅近くまで戻つて来たが、打抜屋前付近(別紙図面(一)の①地点)でタクシーを降り、国際通りを横断した。その頃、国際通りは、車両の交通はあつたけれども、歩道の人通りはあまりなかつた。

原告が、通りを横断し終わる頃、自宅の玄関前付近に男がいるのが見えたので、不審に思い、柴崎自動車北側の倉庫前付近に立止まつて、その男の様子を窺つていた。

(五)  下谷署警ら課警ら一係の川越一郎巡査部長及び同署刑事防犯課保安係の笠原清巡査長は、三月二二日午前零時頃、下谷署所属のパトロールカー(下谷二号)に乗車して担当区域の警らに出発した(この両名が下谷二号に乗車していた事実は当事者間に争いがない。)。川越巡査部長は制服を着用して下谷二号を運転し、笠原巡査長は、私服を着用し、助手席に乗つていた。

下谷二号は、警らの途中、原告宅より一つ浅草寄りの交差点を西方向から左折して国際通りに入り、北に向つて時速約一〇キロメートルで進行中(下谷二号が浅草方向から徐行して進行してきた事実は当事者間に争いがない。)、午前零時一〇分過ぎ頃、堀江米店前付近に差しかかつたところ、原告が柴崎自動車北側倉庫の柱の陰付近に立つているのを発見した。

右両警察官は、原告の挙動について不審に感じたので、下谷二号を堀江米店及び柴崎自動車の中間付近に停車させて、原告の様子を窺つたが、原告は、立ち止まつたまま、浅草方向を見ていた。

そこで川越巡査部長は、原告に対して職務質問を行なおうと考え、下谷二号を道路左に寄せ、柴崎自動車及びその倉庫の中間付近に停車させた。

(六)  原告は、下谷二号が右のとおり二度目に停車する直前にこれに気付き、下谷二号に近寄り、右両警察官から話しかけられる前に、自宅前の不審な男について、「変な男を見なかつたか。」と助手席の笠原巡査長に話しかけた。しかし、原告は、その男の人相、服装等については何ら説明せず、その男が覗いていたのが原告の自宅であることも説明しなかつた。右両警察官は、そのころ現場付近には原告以外の不審者を発見しておらず、原告が笠原巡査長に話しかけてきた行為は、原告の挙動に疑念を持つた警察官に対して機先を制するためのものと受けとり、益々原告の挙動に対する不審感を強くし、両名は直ちに下谷二号を降りて(右両警察官が下谷二号から降りた事実は当事者間に争いがない。)、まず川越巡査部長が原告に対して職務質問を開始した。即ち、同巡査部長は、原告に対し、「お前何やつてんだ。」「住所は、名前は。」と尋ねたのであるが、原告はこれに答えなかつた(原告が住所氏名を答えなかつた事実は当事者間に争いがない。)。川越巡査部長は、「名前を言え、住所を言え。」と繰り返し原告の住所氏名を尋ね、笠原巡査長も何回か同様の質問を行なつた。また、川越巡査部長は、現場付近で不審火が発生していて警戒中であることも原告に説明した。

原告は、原告の見かけた不審な男については警察官がとり合わず、原告の住所氏名を繰り返し尋ねるので腹を立て、「言う必要はない。」「住所を訊く根拠は何だ。」「刑事訴訟法の何条だ。」「逮捕状を見せろ。」などと答えた。

警察官としては、右のような原告の態度に対し、「逮捕状はなくても不審尋問はできるんだ。」「住所と名前を言つてくれればいいんだ。」と応じたが、職務質問の法的根拠は説明しなかつた。

(七)  原告及び右両警察官は、倉庫前付近から白牙社前付近に移動して(原告が自宅と反対方向に移動した事実は当事者間に争いがない。)、前記のようなやりとりを続けていたが、途中、白牙社に住込みで勤めている牛込誠が外の様子を見るために通りに出てきた(白牙社から牛込が外に出てきた事実は当事者間に争いがない。)。笠原巡査長は、牛込に、原告を知つているか否かを尋ねたが、牛込は原告を知らなかつた。

結局、その付近で約一〇ないし一五分間、職務疑問が続けられたが、原告は住所氏名を答えなかつた。

(八)  原告は職務質問を避けるために、自宅と反対方向の三ノ輪方向に立ち去ろうとしたので、笠原巡査長は、質問を続けるために、原告の肩に手をかけたが、原告は、それを振り切つて三ノ輪方向に駆け出した。

(九)  原告は、国際通りを北に向かつて駆け足で走り、石山紙業の角を左折し、中得工業株式会社の角を右折し、石川商店の角を右折して、営業中の寿司屋「寿司安」に入つた。笠原巡査長は駆け足で原告を追い、川越巡査部長は、下谷二号を運転して原告を追つた(原告が寿司安に入つた事実及び警察官が原告の背後から追従した事実は当事者間に争いがない。)。

原告は、寿司安に入り、店内のピンク電話で一一〇番に通報しようとしたが、ピンク電話では一〇円玉を投入して一一〇番をダイヤルしても警察とは通話できない仕組みとなつているので、原告の声は警察には届かなかつた。しかし、原告には相手方からの声は聞こえたので、原告は、通話できたものと思い、電話口で自己の位置を告げた。

(一〇)  原告が、その後、寿司安を出たところで、川越巡査部長及び笠原巡査長は原告に近寄つて職務質問を再び始めたのであるが(この事実は当事者間に争いがない。)、原告は、川越巡査部長から「何をしていたんだ。」と声を掛けられたのに対して、「一一〇番してきた。」と答えた。川越巡査部長は、一一〇番したのであれば、原告の住所氏名を言うよう求めたが、原告は、「ここでは言わない。第三者が来たら話す。警察に行こう。」と答えた。更に、同巡査部長が「じや下谷署に行つて話してくれ。」「パトカーに乗れよ。」と言うと、原告は「歩いて行く。」と言つて西に向つて歩き出した。途中、ガソリンスタンドの前付近で笠原巡査長が「警察はこつちだ。」と声をかけたところ、原告は、「うるせえ、こつちだ。」と言つて、寿司安からの道をそのまま西進せずに三幸の角を左折して南に向かつた(原告が寿司安から三幸の角を左折して川村製作所前(別紙図面(一)の⑥地点)に来た事実は当事者間に争いがない。)。

(一一)  下谷署警ら課警ら一係長松田健一警部補及び西森信吉巡査は、その頃、下谷署所属のパトロールカー(下谷一号)に乗車して警らのために付近を巡回していた。

三月二二日午前零時五〇分頃、高橋クリーニング店の南約七〇ないし八〇メートルの地点付近を警ら中、前方北に下谷二号が見えたので、松田警部補は、下谷二号と無線で連絡をとり、異常がないか確認したところ、「不審者がいるから応援頼む。」とのことだつたので、下谷一号は速度を少し増して北に向つて直進した。

(一二)  原告は、高橋クリーニング店の角を右折したのであるが、原告を徒歩で追尾してきた笠原巡査長は、下谷一号が南から来るのを見て、原告に「お前警察を呼んだんだろう。」「お前警察好きなんだろう。」と声をかけたところ、原告は、高橋クリーニング店前付近で立ち止まつた。続いて北から来た下谷二号がまず右折し、南から来た下谷一号がその後で左折して、吉田材木店付近道路左端に一列に並んで停車した(下谷一号及び二号が道路左端に一列に並んで停車していた事実は当事者間に争いがない。)。徒歩で付近を巡回警らしていた白河巡査も現場に来た。

原告は、一一〇番に通報したことによつて別の警察官が来たものと思い、事情を説明するつもりで下谷一号に近づいたところ(原告が下谷一号に近づいた事実は当事者間に争いがない。)、松田警部補は川越巡査部長から経過の説明を受けた後、原告に対して繰り返し職務質問を行なつた。原告は、「お前ら勝手にやつているんだろう。」「言う必要ない。刑事訴訟法の何条だ。」「岡つ引野郎。」などと応じていた。

(一三)  右のようなやりとりは、二、三分間続いたが、警察官が原告に対し、「署に来てくれ。」と下谷署への任意同行を求めたところ、原告は「下谷署でも、どこでも行つてやる。」「坂本(下谷署の意)に行くんだ。」などと言つて、下谷一号後部座席に乗り込んだ(原告が勧められるままに下谷一号に乗つた事実は当事者間に争いがない。)。なお、この地点からは、下谷署まで約八〇メートルの距離であつた。

以上のとおり認めることができ、<証拠>中、右認定に反する部分はいずれも採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  前項で認定した経緯に基づき、原告に対する警察官の不法行為の成否を検討する。

(一)  職務質問の開始について

本件において、警察官が原告に対する職務質問を開始した際、警職法二条一項に定める要件を充たしていたか否かについては、右1の認定に照らし、原告が午前零時一〇分過ぎ頃という時刻に倉庫の柱の陰付近に立ち止まつて浅草方向を見ていたこと、原告は自宅前の不審者について警察官に話し掛けるのであれば、まずその家が原告の自宅であることを説明すべきものと考えられるのに、そのような事情は説明せず、単に、「変な男を見なかつたか。」と話しかけたこと、原告の右のような行動は、原告の挙動を観察していた警察官にとつては職務質問の機先を制するためのものと受けとられてもやむを得ないこと、当時の原告の服装は三月の深夜としては軽装に過ぎると思われること等の事情を考慮すべきである。

更に、<証拠>によれば、昭和四八年九月から翌四九年二月までの間に下谷署の管内で別紙図面(二)のとおり一〇件の不審火が発生したこと、従つて、警察官が原告を発見した場所も不審火多発地区に含まれていたこと、右一〇件のうち昭和四八年九月一五日竜泉一丁目二二番二号、同年一〇月一一日竜泉一丁目三三番七号及び同年一二月初旬竜泉一丁目二二番一〇号の三件については消防署はこれを把握していないけれども、これは翌朝になつて不審火の跡を発見したに止まる場合には消防署には連絡がなされないためであること、下谷署においては、右の連続して発生する不審火事件に対処するため、本件事件当時においても、特別警戒体制をとつて不審火多発地区における夜間の警戒を強めていたこと、また、民間の竜泉西部町会においても、午後九時頃から翌午前一時頃までの間、約一〇名の人員でそのための警戒を行なつていたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事情を総合すると、原告を発見した警察官が、原告の挙動及び周囲の事情から合理的に判断して、原告が何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしている者と疑うことについては相当な理由があつたものと言うべく、警察官が原告に対する職務質問を開始したことは適法な行為と認めるのが相当である。

(二)  職務質問の継続について

川越巡査部長及び笠原巡査長は、右1で認定したとおり、柴崎自動車北側倉庫前付近から高橋クリーニング店前に至るまで、約四五分間にわたり、原告を追尾し、その間、原告に対する職務質問を繰り返したのであるが、右1の認定によれば、原告は住所氏名を答えないまま、職務質問を避けて駆け出し、途中、寿司安に入つて「一一〇番してきた。」と言い、職務質問には答えないのに下谷署に向つて歩くなど、警察官の不審の念を強くする行動をとり続けたものであつて、右2(一)の認定とも併せ、右両警察官が原告に対し職務質問を継続したことについては、十分な理由があつたものと言うべく、右は警職法二条一項に基づく適法な行為と認めるのが相当である。

(三)  警察官による暴行の有無について

原告は、右の職務質問の途中で、白牙社前において警察官が原告を白牙社の鉄製の扉に押しつけ、原告の胸、肩を手で押すという暴行を加えたものと主張し、<証拠>中には右主張に副う部分があるけれども、これは、<証拠>に照らして採用し難く、他に暴行の事実を認めるに足る証拠はない。

もつとも、前記1(八)において認定したとおり、原告が職務質問を避けて白牙社前から立ち去ろうとした際、笠原巡査長が停止を求めるために原告の肩に手をかけるという行為を行なつている。

この点に関しては、警職法二条一項は、警察官が職務質問を行なうために、相手方を停止させて質問できる旨規定している。これについては、通常の場合、停止の手段としては要求または説得という任意手段のみ許容されるものと解すべきであるが、緊急性、必要性のある場合には、強制手段にわたらない限り、具体的状況のもとにおいて法的、社会的に相当と認められる限度で、警察官は有形力を行使できるものと解すべきところ(最高裁第一小法廷昭和二九年七月一五日判決刑集八巻七号一一三七頁、同第三小法廷昭和五一年三月一六日決定刑集三〇巻二号一八七頁、同第三小法廷昭和五三年六月二〇日判決刑集三二巻四号六七〇頁参照)、本件における笠原巡査長の右行為は、前記1の認定、特に、その行為の態様、職務質問の継続の必要性に照らし、適法な有形力の行使と認めるのが相当である。

(四)  職務質問の態様等について

原告は、警察官がいきなり原告に対し、住所氏名を詰問するなど威圧的な職務質問を行なつたと主張するけれども、職務質問の経緯、態様については、前記1認定のとおりであつて、川越巡査部長及び笠原巡査長は、必ずしも親切丁寧な言葉遺いで原告に質問したわけではなく、白牙社前付近では、原告及び警察官らの双方からある程度、激しい言葉の応酬のなされたことが窺われるけれども、それがために、本件職務質問行為が違法となり、原告に対する不法行為を構成するに威圧的な行為が行なわれたとは認められない。しかして、他に右原告の主張を認めるに足る証拠はない。

(五)  下谷署への同行について

原告は、警職法二条二項に定める要件を欠くのに、警察官が原告を下谷署に同行したことが違法であると主張するので、この点について検討する。

原告は、高橋クリーニング店前で警察官二名がいきなり原告の両腕を掴んでパトロールカーに乗せようとしたものであり、これは不当逮捕であると主張するけれども、原告が下谷一号に乗つた経緯に関しては前記1(一三)で認定したとおりであるから、原告の右主張は理由がない。

ところで、警察官が原告に対し、下谷署への任意同行を求めたことについて、これが警職法二条二項に定める要件を充たす行為であつたかという点については、前記1の認定に照らし、その場で質問することが原告に対して不利であり、または交通の妨害になるものであつたと認めることはできないけれども、前記1の認定特に、原告が寿司安を出てから警察官に「一一〇番してきた。」と話していること、原告自ら自宅とは反対方向ともいうべき下谷署に向かつて歩いていたこと及び原告は、結局において勧められるままにパトロールカーに乗つたこと等の事情のもとでは、原告に対する下谷署への同行要求は、警察法二条の趣旨に照らし、違法・不当なものとは言えず適法な行為と認めるのが相当である。

(六)  結び

以上のとおり、右1で認定した経緯において、警察官がした行為には違法の点はなく、いずれも適法なものと言うべきであるから、原告の不法行為の主張はいずれも失当である。

二下谷署内での骨折の経緯について

1  <証拠>を総合すると、次のとおり認めることができる。

(一)  二二日午前零時五五分頃、原告及び警察官五名(松田、川越、笠原、西森及び白河)は、パトロールカー下谷一号及び二号で下谷署に向かい、まもなく到着した。下谷署一階事務室の内部は、別紙図面(三)のとおりの状況であつた。原告は、正面玄関から一階事務室に入り、警ら総務係席隣のカウンターの横を通り、ストーブの前を通つて、松田警部補の指示によつて一人掛けのソファーに浅く腰掛け、背中は背もたれにもたれて足を組んだ(別紙図面(三)中「ソファー原告」と記載されている位置、なお、原告が右経路でソファーに座つた事実は当事者間に争いがない。)。松田警部補及び西森巡査も原告と共に署内に入つた。

この時、下谷署一階事務室には、リモコン(無線指令機)を担当していた絵野沢勝警部補及び沼尻司郎警部補、電話交換台の付近に大岡、その並びのカウンター付近に国井巡査長及び松本がいた。高橋クリーニング店前から下谷署に戻つてきた前記五名の警察官のうち、白河巡査は、直ちに警らに復帰したが、笠原巡査長は、警ら総務係席とストーブの間付近で沼尻、絵野沢両警部補及び勤務に就くために一階事務室に入つてきた猿山巡査らに原告を同行した経緯について説明していた。

(二)  原告がソファーに腰掛けた当初は、松田警部補、川越巡査部長及び西森巡査が原告に対する職務質問を続行した。このうち中心となつたのは松田警部補であつて、不審火警戒についても説明しながら、「どうして言わないんだ。」「いいから答えろ。」と繰り返し原告に住所氏名を尋ねた。

原告は、これに答えず、「根拠は何だ。」「岡つ引野郎。」「町会が勝手にやつていることでそういうことは知らない。」などと大声をあげていた(原告が質問に答えず、質問の法的根拠を示すことを求めたことは当事者間に争いがない。)。

途中、原告が「水持つて来い。」と言うので、西森巡査がアルミ製のコップに水を汲んで原告に差し出した。原告はその約半分を飲んだが、「指紋をとるんだな。岡つ引、その手はくわないぞ。」などと言つて、残りの水の入つたコップを床に投げ捨てた。

(三)  午前一時八分過ぎ頃、警ら係の渡部昇巡査が休憩を終えて勤務に就くため、下谷署一階事務室に降りてきた。渡部巡査は、拳銃を装備した後、西森巡査から原告を下谷署に連行した経緯について説明を聴いた。

更に、渡部巡査は、松田警部補に「係長、この男何したんですか。」と話しかけ、同警部補の右側即ちソファーに腰掛けている原告の左斜め前に立つて、原告に対しして住所氏名を尋ねた。なお、渡部巡査は、身長は一メートル六三センチであるが、当時、柔道三段の腕前であつた。

(四)  他方、川越巡査部長及び西森巡査は、松田警部補の指示により、折から町会実施の不審火警戒に参加している人に原告の身元確認をしてもらうため、渡部巡査と入れ替わりに、聞き込みに出かけた。

結局、この間、松田警部補が中心となつて原告に対する職務質問を行なつていたのであるが、川越巡査部長及び西森巡査も聞き込みに出かけるまでは原告の傍に立つており、また、前記リモコン担当の沼尻警部補も近寄り原告に対して問いを発した。

(五)  午前一時八分過ぎ頃、渡部巡査が前記(三)のとおり原告に住所氏名を尋ねた直後頃、原告は、帰宅しようと思つて、組んでいた足を解き、ソファーから立ち上がろうとしたが、この際、原告は、原告の膝から約二〇ないし三〇センチメートル左斜め付近に立つていた渡部巡査の左足首あたりを、サンダル履きの左足つま先の裏側で蹴つた。

松田警部補は、職務質問を継続するために、立ち上がり掛けた原告の右肩を押さえて「まあまあまあ、まだ何も聞いていない。」と言つて原告を再びソファーに腰掛けさせた。

(六)  原告は、これに応じて、一旦、ソファーに腰掛け、両足を組んだが、改めて帰宅しようと決意し、「これは監禁じやないか、帰るぞ。」と言つていきなり立ち上がろうとした。この時、組んでいた足を大きく振りほどいて、左足で、渡部巡査の右下腹部を蹴つた(原告が組んでいた足をはずして左斜め前方にいた警察官の方に足を突き出した事実は当事者間に争いがない。)。渡部巡査は、このために、一、二歩後退した。

松田警部補及び渡部巡査は、原告の暴行行為を現認したので、原告が立ち上がり掛けた時、松田警部補が原告の右腕を、渡部巡査が左腕をそれぞれ押さえ、原告を公務執行妨害の現行犯として逮捕しようとした。

更に、松田警部補及び渡部巡査は、なおもこれに抵抗してもがき立ち上がろうとする原告の左右の腕をそれぞれ後ろ手、即ち原告の背中の方にとつて、原告をソファーに腰掛けさせようと上から力を加えたが、この時、渡部巡査は、原告の左前腕を強く捩じり上げたので、原告の左上腕骨の肘関節側に肩関節からみて右回り、肘関節からみて左回りの力が加わり、このため、左上腕骨が骨折した(原告が左上腕骨を骨折した事実は当事者間に争いがない。)。この骨折は、左上腕骨の下三分の一の部分を中心とするもので、骨折線が螺旋形となる螺旋状骨折(捻転骨折)であつた。

(七)  午前一時一五分に、松田警部補の連絡により、荒川消防署の救急隊員関征男他三名が救急車で下谷署に到着した。

関は、原告の左腕に梯副木をあて、ストレッチャーで救急車内に運んだ。関の観察によれば、この時の原告の状態は、「呼吸正常、脈拍やや弱い、意識は酩酊を呈し、やや興奮状態、顔色やや蒼白」、「左上腕変形し激痛を訴え運動不能」であつた。なお、松田警部補は、関に対し、事故の原因として「酩酊のため警察署に保護し、署内で椅子に座る時左上腕を負傷したもの」と説明した。

原告を収容した救急車は、消防庁本部管制室の指示により、午前一時三五分に三ノ輪病院に向つて出発したが、救急車には警察官は同乗せず、パトロールカーに松田警部補、西森巡査、小野巡査部長の三名が乗り、救急車に追従した。

(八)  救急車は、午前一時三七分に三ノ輪病院に到着し、原告は、医師の診察を受け、仮ギプスをはめられた後、同病院二階の病室に収容された。

(九)  その後、三ノ輪病院で診察を受けたところ、原告は左上腕骨折の他に、右大腿内側に八センチメートル×六センチメートルの馬蹄型状の打撲による皮下溢血及び四センチメートルの間隔で二か所に針頭状大の挫傷、右手背部(第三中手骨背側)に四ミリメートル四方及び右手関節背部に二〇ミリメートル×一〇ミリメートルの皮下溢血班の傷害を受けているのがわかり、更に、三月二五日、文京区千石二丁目一番六号所在東京保健衛生協氷川下セツルメント病院医師赤星良の診察を受けたところ、左手根部背側にも八ミリメートル×三ミリメートルの溢血班のあることがわかつた。

(一〇)  渡部巡査は、原告に蹴られた右下腹部に痛みを感じたので、医師の診察を受けることとし、二二日午前五時頃、台東区竜泉三丁目四二番一一号田村外科の医師田村一爾の診察を受けるために電話で連絡し、午前六時頃、同医師の診察を受けた。その結果、同医師より、加療一週間を要する右下腹部打撲傷と診断された。

以上のとおり認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分はいずれも採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  前項で認定した経緯等に基づき、原告に対する警察官の不法行為の成否を検討する。

(一)  職務質問の継続について

下谷署に到着してから警察官が原告に対する職務質問を継続した点については、前記一判示の経緯、特に、原告の挙動が不審であつたこと及び原告は下谷署に来ることに同意していたことに照らし、警職法二条一項に基づく適法な行為と認めることができるから、原告のこの点に関する不法主張は理由がない。

また、原告は、下谷署内において、六、七名の警察官に取り囲まれて威圧的な職務質問を受けたと主張するけれども、<証拠>及び右1(一)ないし(四)で認定した事実に照らしいずれも採用し難く、他に、違法な職務質問として原告に対する不法行為を構成するほどの威圧的な行為が行なわれた事実を認めるに足る証拠はない。

更に、右1(五)の際に、一旦、立ち上がり掛けた原告の右肩を押えてソファーに腰掛けさせた行為について検討するに、職務質問における有形力の行使の限界については、前記一2(三)で述べたとおりであるが、前記一1で認定した原告を下谷署に同行するに至るまでの経緯並びに右1で認定した事実、特に、原告の住所氏名が不詳であつたこと、原告は、立ち上がる際も、警察官に対し、明確に職務質問を打ち切るよう申し入れてはいないこと及び一旦立ち上がりかけたものの再びソファーに腰掛け、両足を組んだこと等の事情のもとでは、松田警部補が原告の肩を押えてソファーに腰掛けさせた行為は、緊急性、必要性がある場合において法的、社会的に許容され得る限度内の適法な有形力の行使と認めることができるから、原告のこの点に関する不法主張も理由がない。

(二)  原告の公務執行妨害罪及び傷害罪の成否について

渡部巡査の原告に対する職務質問行為は、右(一)の認定のとおり、適法な職務行為であるから、同巡査に対して原告が右1(五)及び(六)で認定したとおりの暴行を加えた行為は、刑法九五条一項の公務執行妨害罪に該当するものと言わなければならない。

次に、傷害罪の成否について検討するに、渡部巡査が原告に蹴られた右下腹部に痛みを感じており、田村医師によつて、これが加療一週間を要する右下腹部打撲症と診断されていることは前記認定のとおりである。他方、<証拠>によれば、田村医師作成の渡部巡査のカルテには下腹部に痛みがある旨及び右下腹部付近に圧覚がある旨の記載の他には、外観上の異常所見については、特段の記載のないことが認められ、この点についての証人渡部昇の、「蹴られて二〇分ないし三〇分後には、蹴られた箇所は、八センチメートル×一〇センチメートル程のだ円形に、うつすらと赤味を帯びた状態となつており、蹴られて一時間前後で痛みはとれ、押したり歩いたりすると痛いという症状になつたが、他の警察官から医師の診察を受けることを勧められて受診した」旨の供述、更に、右1(六)で認定した暴行行為の際の原告の体勢、右1(一〇)で認定した渡部巡査が田村外科に連絡をした時刻等を総合すると、果たして渡部巡査の右下腹部に、田村医師の診断どおり、加療一週間を要する打撲傷が生じていたか甚だ疑問と言うべく、結局、傷害罪の成立については、これを認めるに足る証拠がないと言わざるを得ない。

(三)  警察官による逮捕行為の適法性について

現行犯逮捕をしようとする場合において、現行犯人から抵抗を受けたときは、逮捕をしようとする者は、その際の状況からみて社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力を行使することが許されるものと解される(最高裁昭和五〇年四月三日第一小法廷判決刑集二九巻四号一三二頁参照)。

従つて、本件においては、松田警部補及び渡部巡査が、原告の公務執行妨害行為を現認したのであり、原告を逮捕するために、原告の両腕を押え、原告をソファーに腰掛けさせようとする有形力を行使することは、原告がこれに対して立ち上がろうと抵抗したのであるから、それが逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力行使である限り、刑事訴訟法二一三条に基づく適法な行為ということがでる。

ところで、被告は、松田警部補が原告を逮捕する際に、原告に対し「公務執行妨害の現行犯人として逮捕する。静かにしろ。」と告げたと主張するけれども、<証拠>中、右主張に副う部分は、<証拠>に照らし、いずれも採用し難く、他に右事実を認めるに足る証拠はない。しかしながら、右判示したとおり、原告を現行犯逮捕する要件が備わつており、右両警察官が原告を逮捕する意思で逮捕行為を行なつたものである以上、たとえ、原告に対し現行犯逮捕する旨を告げなかつたとしても、そのことによつて直ちに逮捕行為が違法になるものとは言えない。

そこで、次に、渡部巡査が原告の左腕を前記認定のとおり捩じり上げた行為が逮捕のために必要かつ相当な限度内の行為と認められるかという点について検討するに、右1において認定した事実、特に、原告の行なつた公務執行妨害行為の態様、逮捕行為に対する抵抗の態様等に照らせば、原告の左上腕骨に螺旋状骨折を生ずる程の力を加えて、原告の腕を捩じり上げた行為については、これを社会通念上逮捕のために必要かつ相当な限度内の実力を行使したものと認めることはできない。

この点につき被告は、原告が警察官の手を振り解こうとして身体を揺さぶり、くねらせる等激しい勢いで暴れたために、警察官の適法な有形力の行使と原告の右抵抗とが相まつて、はずみで骨折したものと主張するけれども、いかに酒に酔つていたとしても、自己の腕を蝶旋状骨折するに至るまで抵抗するということは、通常考え難いというべく、<証拠>中、右主張に副う部分は、<証拠>にも照らし、いずれも採用し難く、他に被告の右主張を認めるに足る証拠はない。

従つて、渡部巡査の右行為は、逮捕のために必要かつ相当な限度内の行為即ち適法な職務行為と認めることはできないが、反面、同巡査が骨折の結果を意図して右行為を行なつたものと認めるに足る証拠もないので、結局、同巡査は、過失によつて、違法に原告の身体を傷害したものと認めるのが相当である。

(四)  原告の右大腿及び両手の傷害について

右1(九)において認定したとおり、原告は、左上腕骨骨折以外にも傷害を受けているが、その部位、大きさ等に照らし、このうち、右手背部(第三中手骨背側)及び右手関節背部の皮下溢血斑は松田警部補により、左手背部の溢血斑は渡部巡査により、前記逮捕行為の際に左右から原告の腕を押えられたために生じたものと推認するのが相当である。しかしながら、右両警察官が、原告の両腕を押えた行為は、右1の認定に照らし、右のような両手挫傷を生ずる限度では、未だ逮捕のために必要かつ相当な限度を超えない適法な有形力の行使であると認めるのが相当である。従つて、右の傷害については、不法行為は成立しないと言うべきである。

なお、原告の右大腿部の打撲症については、その形状から、何者かによつて靴底で蹴られたために生じたものではないかとの疑いが強いが、警察官が、原告を蹴つたために生じたものと認めるべき直接の証拠はない。原告本人尋問の結果中には、おそらく警察官に腕を捩じりとられた瞬間に蹴られたものであろうと思う旨の供述部分があるが、右原告本人尋問の結果は証人松田健一及び同渡部昇の各証言に照らし、採用し難い。従つて、結局、右大腿部の打撲症が、警察官の暴行によつて生じたものと認めることはできない。

(五)  結び

以上のとおり、右1認定の経緯においては、渡部巡査が原告を逮捕するに際し、過失により原告の左上腕骨を骨折せしめた点は不法行為を構成するが警察官のその余の行為については不法行為を構成しないと言うべきである。

三原告骨折後の下谷署の取扱いについて

1  <証拠>を総合すると、次のとおり認めることができる。

(一) 松田警部補は、前記二1(七)のとおり三ノ輪病院に向い、二二日午前二時頃まで同病院にいたが、無線で下谷署と連絡をとつて後藤巡査を同病院に呼び、原告を監視させた。そして、松田警部補、西森巡査、小野巡査部長は、後藤巡査と入れ替りに下谷署に戻つた。松田警部補は、下谷署に戻つてから原告に対する現行犯逮捕手続書を作成した。

(二)  下谷署においては、原告の受傷後、当夜の宿直責任者であつた沼尻警部補及び絵野沢警部補が中心となつて、当時の下谷署長常世田溜吉、同署次長寺井輝男、同署刑事防犯課長馬場松男、警ら課の責任者である城ケ崎成男警部らに連絡をとり、本件一連の事件の処理について検討するとともに、松田警部補及び渡部巡査から事情を聴取した。

(三)  二二日午前三時一〇分頃、下谷署刑事課捜査係絵野沢警部補及び同係猿山巡査が、三ノ輪病院に赴き、病室の電灯はつけずに、懐中電灯を用いて、原告に対し、現行犯逮捕に関する弁解の機会を与えた。即ち、絵野沢警部補は、原告に対し、「公妨で逮捕されているが何か言うことはないか。」「お前、警察官を蹴つたんだろう。」「弁護人はどうする。」等と質問した(原告が応急手当を受け、病室で寝ていた事実、及び懐中電灯をつけた警察官が、午前三時一〇分頃、原告を起こした事実は当事者間に争いがない。)。これに対し、原告は、「自分の足が警察官に当たつたことは覚えている。」旨述べたので、絵野沢警部補らは、原告が警察官を蹴つたことは間違いない旨記載した弁解録取書を作成したけれども、調書末尾に原告に署名指印するよう求めたところ、原告はこれを拒否し、絵野沢警部補らは、原告の署名指印を得ないまま、下谷署に戻つた(警察官が弁解録取書を作成し、原告に署名指印を求めた事実は当事者間に争いがない。)。この際、絵野沢警部補らは、病院関係者とは何ら接触しなかつた。

(四)  二二日午前八時頃、馬場刑事防犯課長、阪田捜査係長及び猿山巡査は、三ノ輪病院に赴き、原告に対し、公務執行妨害罪及び傷害罪の被疑事実について取調べを行なつた。この際、取調官は、原告が逮捕されている点については説明しなかつたが、原告が黙秘権を有することについては告知した。原告は、事件について説明し、警察官は、原告の、「再三住所氏名を聞かれてわずらわしくなつて警察官の下腹部を蹴つた。」旨記載した原告の供述調書を作成し、これを読み聞かせたところ、原告は、一旦は、蹴つたのではない旨申し立てたが、結局は、供述調書末尾に署名指印し、午前一〇時頃、取調べは終了した(原告の朝食後、供述調書を作成した事実は当事者間に争いがない。)。

なお、この取調べの後、病室にあつた原告が受傷当時履いていたサンダルを警察官が領置した。

(五)  二二日午後八時頃、下谷署においては、原告を釈放することとし、その旨原告に伝えたが、同日午前二時からこの時点まで、下谷署の警察官が三ノ輪病院で原告を監視していた(下谷署が三ノ輪病院において原告の身柄を拘束した事実は当事者間に争いがない。)。

以上のとおり認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分はいずれも採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2 右1の原告に対する身柄の拘束及び取調べが不法行為を構成するかについては、前記二において判示したとおり、警察官が原告の公務執行妨害行為を現認し、原告を現行犯逮捕したものであるから、警察官としては刑事訴訟法に基づき、原告の身柄を拘束し、弁解の機会を与え、取調べを行なう権限を有していたものである。警察官が前記二2(三)において判示したとおり、逮捕に際して適法な限度を超える有形力の行使を行なつた場合であつても、そのことによつて直ちに、刑事訴訟法に基づく右手続が違法なものとなると解すべきではない。

また、右1(三)認定の絵野沢警部補らの行為は、前記2(三)認定の松田警部補が下谷署内で原告を逮捕した際に、現行犯逮捕する旨を原告に告げた事実が認められないことを併せ考えると、逮捕したという事実及び被疑事実の説明方法において、簡略に過ぎ、逮捕されている被疑者に対して弁解の機会を与える手続としては必ずしも適切なものとは言い難く、また、この手続を逮捕直後に行なわずに、病室で寝ている原告に対し、医師と何ら相談もせず懐中電灯を用いて行なつたということは、かなり異常な状況下での取調べではあるが、これらの事実から直ちに、右手続を違法なものとみることはできず、他にこれを違法と認めるに足る証拠はない。

従つて、右1認定の経緯においては、原告に対する不法行為は成立しないと言うべきである。

3  原告を検察官に送致した事実について

請求原因一3(二)(1)の事実即ち、下谷署において、原告を傷害罪及び公務執行妨害罪の被疑者として東京地方検察庁検察官に対して送致したことは当事者間に争いがない。

ところで、刑事訴訟法二四六条は、司法警察員が犯罪の捜査をしたときは原則として事件を検察官に送致すべき旨を定めている。この規定によれば、司法警察員において犯罪の捜査を行なつた場合には、捜査の結果、犯罪の嫌疑が消滅したとしても、事件の処理は検察官において行なうために、事件を検察官に送致すべきものである。

そこで、本件について、下谷署が原告の公務執行妨害罪及び傷害罪に関する捜査を開始したことが不法行為に当たるか否か検討するに、前記二において認定した経緯に照らせば、警察官が右捜査を開始するに当たつては、公務執行妨害罪及び傷害罪の嫌疑が存在していたものと認めることができるから、捜査の開始は適法である。

従つて、原告に対する公務執行妨害及び傷害被疑事件を検察官に送致した行為は、何ら不法行為を構成しないと言うべきである。

四原告の受傷経緯の説明について

1  <証拠>によれば、次のとおり認めることができる。

(一)  原告の両親は、救急隊員からの連絡で、二二日午前二時少し前頃、三ノ輪病院に到着した。同病院の待合室で、松田警部補は、原告の父横山清吉に対し、原告の骨折について説明した(この事実は当事者間に争いがない。)が、その際、同警部補は、原告が自分で転んだ際に、左腕が身体の下に入つて骨折した旨を説明した。この時には、原告を現行犯逮捕したという点は説明しなかつた。

(二)  二二日午前八時三〇分頃、松田警部補及び下谷署警ら係警ら調査官城ケ崎成男警部が原告の自宅を訪ね、城ケ崎警部が原告の両親に対し、原告が受傷した経緯について説明した(この事実は当事者間に争いがない。)が、その際、主に、城ケ崎警部が、原告に対する職務質問の開始から下谷署に任意同行した状況及び原告が下谷署内において公務執行妨害罪を犯した状況の他、原告の受傷については、警察官が両側から原告を逮捕しようとして腕を押えたところ、原告が暴れ、その際に骨折した旨を説明した。

(三)  二二日午後六時四〇分頃、下谷署次長寺井輝男が横山清吉、都議会議員林田盛栄、同川俣晶三及び台東区議会議員中川らに対し、原告の受傷について説明した(この事実は当事者間に争いがない。)。林田議員は、当時、都議会警務消防委員会の常任委員であつた。寺井次長は、原告に対する職務質問の状況、公務執行妨害罪の現行犯人として原告を逮捕した状況、原告が受傷した状況、警察官が原告の暴行により加療一週間を要する傷害を受けた事実並びに原告を公務執行妨害罪及び傷害罪の被疑者として事件を処理していることを説明した。殊に、原告の受傷については、城ケ崎警部を原告に見たてて、原告が骨折した状況を具体的に再現し、また、警察官が原告の手首と上腕部を押えたところ、原告が前後に暴れたので骨折した旨の説明を行なつた。

以上のとおり認めることができ、右認定に反する<証拠>は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  前項で認定した1(一)ないし(三)の説明に関して、原告に対する名誉毀損による不法行為の成否を検討する。

まず、右l(一)の説明は、原告の父横山清吉に対して、同(二)の説明は原告の両親清吉及び栄子に対してなされたものであつて、いずれも公然事実を摘示したものとは認められないから、右(一)、(二)については、そもそも原告の社会的評価に影響する名誉毀損行為には該当しないと言うべきである。

次に右1(三)の説明については、説明の内容、及びその相手方に照らし、公然事実を摘示して原告の名誉を毀損する行為であることを認めることができる。

ところで、名誉毀損による不法行為については、当該行為が公共の利害に関する事実に係り、もつぱら公益を図るに出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、その行為は違法性を欠いて(違法性阻却)不法行為にならず、また、真実であると認めるに足る証拠がない場合であつても、行為者において、その事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、当該摘示した行為には、故意若しくは過失がなく(責任阻却)、結局、不法行為は成立しないと解される(最高裁第一小法廷判決昭和四一年六月二三日民集二〇巻五号一一八頁参照)。

そこで、右1(三)の説明について右の要件を充たすかどうか判断するに、摘示された内容は、未だ公訴の提起されない原告の犯罪行為に関するものであるから公共の利害に関する事実に係るものであること、警察官の職務執行の適切さについて、原告の父、都議会議員、台東区議会議員らに質問され、説明を求められた上で、下谷署次長が、署の見解を発表したものであるから、もつぱら公益を図る目的に出た行為であることが認められ、右各認定を左右するに足る証拠はない。

次に右摘示の内容については、前記二1の認定に照らせば、渡部巡査の受傷の点及び原告が暴れたために骨折したという点を除けば、ほぼ真実に合致するものと認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、渡部巡査の受傷の事実は、右当時田村医師によつて診断書が作成されていたことに照らせば真実と信ずるについて相当の理由があつたものと言うべく、また、「警察官が原告の手首と上腕部を押えたところ、原告が前後に暴れたので骨折した」との説明部分は、この点のみをとり上げて特に名誉毀損に当たる不法行為を構成するものとは認め難いから、結局、寺井次長のなした説明は、その大筋において真実であり、あるいは真実と信ずるについて相当の理由があつたものと認めるのが相当である。

従つて、右(三)についても、原告に対する名誉毀損による不法行為は成立しないと言うべきである。

3  次に、新聞記事に掲載された下谷署長の談話について検討する。

(一)  <証拠>によれば、次のとおり認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(1) 下谷署長常世田溜吉は、原告の受傷等について朝日新聞社の記者の取材に応じた(この事実は当事者間に争いがない。)のであるが、昭和四九年四月四日付朝日新聞朝刊に本件原告の受傷の件が報道された際、原告の主張を紹介すると共に、下谷署の常世田署長の談話として「職務質問した現場一帯は、昨年秋から今年にかけ、八件の連続不審火事件が発生しているので、パトロールを強化していた。住所、名前をいつてもらつたらそれですんだのに、最後まで拒否し、あばれたうえ、警察官に傷害を及ぼす暴行をしたので逮捕した。その際、おとなしくしていたらなんでもなかつたのに、さらにあばれて、そのはずみで骨が折れた。」という文章が掲載された。

(2) 昭和四九年四月七日付内外タイムズには、「警察、青年どちらが正義か」との見出しのもとに、原告の主張を紹介した後、下谷署側の主張として、「常世田署長は清吉さんの間違いを指摘して、『横山さんは泥酔ぎみで、署内でも“民主主義の敵”“官憲の犬ども”など、悪罵の限りを尽くし、あばれるんです。ついには署員の腹、脚を蹴つて、十日間の傷害を負わせる始末で、傷害で逮捕しようと取り押えた。その時さらにあばれ、ソファーの角に左腕を強打、骨折したんです』と横山さんの狼藉ぶりを語り、骨折は警官がやつたものではないと、強調している。また、職務質問をした竜泉一、二丁目は昨年一〇月から八件は不審な火が発生し、町内会の協力も得、パトロールカー強化中であり、職務質問、任意同行は当然であるという。『職務質問の際、住所、名前をいつてくれればそれで済むのに、自宅と反対方向に逃げたり、警官をも傷つけ、自らが原因の骨折まで署員に責任を被せるなんて、言語道断です』と、常世田署長はフンガイしている。」との文章が掲載された。

(3) 昭和四九年四月二七日付読売新聞は、「“乱暴警察”を告訴『腕折られ、ムリヤリ連行』」との見出しのもとに原告の主張及び原告が警察官を東京地検に告訴したとの事実を紹介し、常世田溜吉下谷署長の話として「竜泉周辺では、昨年秋から不審火が続発しており、当夜も警戒中のパトカーが、現場付近にいた横山さんを職務質問しようとしたところ、応じないので本署に来てもらつた。ところが、署内で事情を聞き始めたら暴れ出し、警ら係の渡辺昇巡査の腹をけつて一週間のけがをさせたりしたので、逮捕しようともみ合つているうちに横山さんの腕が折れてしまつた。警察としては正当な職務執行の範囲を越えていない」との文章が掲載された。

(4) 昭和四九年四月二七日付毎日新聞には、「『職務質問、拒否したら腕ねじられ重傷』会計事務所員下谷署員を告訴」という見出しのもとに、原告の主張及び原告が警察官を東京地検に告訴したとの事実を紹介しているが、常世田署長の談話として「職務質問をした現場付近では、昨年から今年にかけて、八件の不審火が発生、パトロールを強化していた。質問に対して何も答えず、反対方向へ行こうとしたので、任意同行した。骨が折れたのは署内で暴れるのを取り押えようとしたはずみで、警察官の職務執行は正当だつた」との文章が掲載された。

(二)  右(一)の認定によれば、下谷署長の談話として掲載された記事の内容が、原告の名誉を毀損するものであることは、原告の警察官に対する犯罪行為を摘示していることから明らかである。

(三)  <証拠>によれば、新聞社が、右(一)のような形で、署長談話として記事を掲載する場合には、記者が署長又はその代理者に面接あるいは電話して取材するか、又は、記者クラブの幹事社が代表取材するという形をとり、必ず、下谷署長ないし、下谷署の広報担当者に対する取材に基づいて行なうものと認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、本件の場合も記事の体裁から考えて、各新聞社が、下谷署長ないし広報担当者から取材したことが推認できる。

(四)  ところで、本件においては、いずれの記事も、原告及び下谷署側双方の主張を同時に紹介する体裁であつて、いずれか一方が正しいものと断定する内容のものではない。つまり、下谷署関係者に対する新聞社の取材も、原告の下谷署に対する批判ないし非難に対応する下谷署の見解を問う形のものであつたと推認されるところ、下谷署長等がこれに応じて、前記認定のような職務質問の経緯、原告の犯罪行為、骨折の原因等についての下谷署の見解を同一紙面上に反論として述べることは言論の応酬、即ち表現の自由の問題として十分に尊重さるべきであり、その反論が自己の属する機関の正当な利益を擁護するために必要な範囲を逸脱しない限度でなされたものである限り、その反論に原告の名誉を毀損するが如き言動が含まれていても、それが真実ないし真実と信ずるにつき相当の理由がある場合には、違法性を阻却するものと解するのが相当である。

(1) しかして、右(一)、(三)認定の経緯に照らせば、右(一)の記事の基となつている下谷署長談話は、原告の非難主張に対し、それに答える形で、右主張が真実に反し、いわれのないものであると否定し、実情説明することにより原告の、ひいては、世人の同署への非難等から同署を守るべくなされた必要限度内の反論であると認めるのが相当であり、右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) そこで、次に右各記事の内容の真実性について検討する。

まず、右(一)(3)の読売新聞については、前記二の認定に照らせば、原告が、署内で暴れ出したこと、渡部巡査の腹を蹴つたこと、逮捕しようともみ合つているうちに原告の腕が折れてしまつたことについては、大筋においてほぼ真実を述べたものと認めることができ、更に、渡部巡査が一週間の怪我を負つたとの点は、前記二認定のとおり、田村医師により診断書が作成されていたのであるから、下谷署の警察官においてこれを真実と信ずるにつき相当の理由があつたものと認めることができる。「正当な職務執行の範囲を越えていない」との部分は、あくまで当事者としての下谷署の見解を述べたに過ぎないものとみるべきであつて、これをもつて、原告の名誉を毀損するものとは認められない。

しからば、本件読売新聞の記事中の署長談話については、その大筋において内容が真実であるか、そう信じたについて相当な理由があつたものと認めるのが相当であるから、結局、違法性が阻却されるものと言うべきである。

同(一)(4)の毎日新聞についても右(3)の場合とほぼ同様であつて、骨折の点についても「署内で暴れるのを取り押えようとしたはずみで」折れたものとしているのであるから、大筋において真実であると認めるのが相当であり、結局、違法性が阻却されるものと言うべきである。

次に(一)(1)の朝日新聞についてみるに、大筋においては、右(3)及び(4)とほぼ同一の内容であるけれども、骨折原因については、「おとなしくしていたらなんでもなかつたのに、さらにあばれて、そのはずみで骨が折れた」としており、この点については、右(3)及び(4)と異なり、原告の自傷行為によつて骨折したとの内容とも解される。しかしながら、右(3)の読売新聞及び右(4)の毎日新聞の記事においてはこの点は異なる表現となつていること、本件の署長談話は、新聞記者が取材の後に文章にまとめたものであつて、署長の談話が、そのニュアンスまで正確に表現されたものとは限られず、記者による潤色がなされる可能性もあるといつた事情を考慮すると、右の点に関しては、署長ないし広報担当者が、右記事どおりの発表を行なつたものと直ちに認めることができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。しからば、下谷署長が右(1)において朝日新聞記者に発表した内容は、大筋において、その内容が真実であるか、そう信じるについて相当な理由があつたものと認めるのが相当であるから、結局、違法性が阻却されるものと言うべきである。

更に、右(2)の内外タイムズについてみるに、他の三紙即ち右(1)、(3)及び(4)と比較すると、その内容は、記者によつて相当潤色されたことが窺われ、下谷署長あるいは広報担当者の発表そのものを掲載しているものと直ちに認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。従つて、これについては下谷署の警察官による名誉毀損の成立する余地はないと言わざるを得ない。

(五)  以上のとおりであるから、右(一)のとおり新聞記事中に掲載された下谷署長の談話については、いずれも名誉毀損による不法行為は成立しないものと言うべきである。

五被告の責任

以上一ないし四で検討したところを総合すれば、渡部巡査が、原告を逮捕するために実力を行使した際、原告の左上腕を骨折したことは、被告の公権力の行使に当る公務員がその職務を行なうについて過失によつて違法に原告に損害を加えたものと言うべきであるから、被告は、これによつて原告の被つた後記六の損害を賠償する責任を負うものである。

原告の主張する右以外の請求原因事実に関しては、既に判示したとおり、不法行為は成立しないから、原告の本訴請求のうちこれを前提とする部分についてはいずれも理由がない。

六損害について

1  治療費 金一二五万九八一五円

<証拠>によれば、原告が左上腕骨骨折の傷害(以下「本件傷害」という。)について昭和四九年三月二二日から二六日まで三ノ輪病院に入院して治療を受け、その間の治療費は、金五万一七四〇円であつたこと、同じく本件傷害について三月二六日から四月一八日までの間及び昭和五〇年五月一二日から一六日までの間、氷川下セツルメント病院に入院し、かつ、同病院において昭和四九年三月二五日、四月一九日から昭和五〇年五月一一日までの間及び五月一六日から二四日までの間に診療実日数三六日の通院治療を受けたこと、氷川下セッルメント病院の右治療に要した治療費は金一二〇万八〇七五円であつたことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

従つて、本件傷害の治療費は合計金一二五万九八一五円と認められる。

2  入院諸雑費 金一万六五〇〇円

原告の右入院期間は、合計三三日間となるところ、入院諸雑費として一日当たり金五〇〇円を下らない費用を要したものと推認するのが相当であるから、これにより計算すると金一万六五〇〇円が入院諸雑費の損害と認められる。

3  入通院交通費 金二万六四〇〇円

原告は、右1認定のとおり入院及び通院したのであるが、その交通費については、<証拠>によれば、昭和四九年三月二五日にタクシー代金一六〇〇円、三月二六日にタクシー代金八〇〇円、四月一八日にタクシー代金八〇〇円、四月一九日から六月二八日までの間に一二回通院しタクシー代金一往復当たり金一六〇〇円、合計金一万九二〇〇円六月二九日から昭和五〇年五月二四日までの間、電車及びバスで二四回通院し、一往復当たり金一六〇円、合計金三八四〇円を、並びに昭和五〇年五月一二日及び一六日の入院及び退院交通費として合計金一六〇円を、それぞれ支出したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

従つて、右の合計金二万六四〇〇円が、入通院交通費の損害と認められる。

4  附添看護費用 金五万六〇〇〇円

<証拠>によれば、原告が入院していた昭和四九年三月二二日から四月一八日までの二八日間、原告の母横山栄子が原告の附添看護をしていたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。入院中の附添看護費用として一日当たり金二〇〇〇円を下らない費用を要したものと推認するのが相当であるから、これにより計算すると、金五万六〇〇〇円が附添看護費用の損害と認められる。

5  逸失利益 金一一万円

<証拠>によれば、原告は、本件傷害を受けたために、昭和四九年三月二二日から五月三一日まで、原告が勤務していた田村税務会計事務所を欠勤し、昭和四九年四月分の賃金につき月額一〇万円の五分の一に当たる金二万円、同五月分につき月額の五分の二に当たる金四万円、夏期一時金1.5ケ月分につき支給額の六分の二に当たる金五万円をそれぞれカットされたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。従つて、本件傷害による原告の逸失利益は右の合計金一一万円と認められる。

6  慰藉料 金一二〇万円

本件においては、先に認定した全事情を総合考慮すると、原告の受けた本件傷害に対する慰藉料としては、金一二〇万円が相当である。

7  弁護士費用 金二六万六八七一円

<証拠>によれば、原告は本件訴訟の提起及びその追行を本件原告訴訟代理人らに委任し、報酬を支払う旨約したことが認められる。そして、本件訴訟の内容、経過に照らせば、金二六万六八七一円を本件と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

8  合計 金二九三万五五八六円

以上1ないし7認定のとおりであるから、原告が本件傷害によつて被つた損害は、合計金二九三万五五八六円と認められる。

七結論

したがつて、本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償金二九三万五五八六円及び内金二六六万八七一五円に対する不法行為の日である昭和四九年三月二二日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九四条後段、九三条一項本文を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(根本久 高橋利文 後藤博)

別紙(一)

謝罪文

下谷警察署内において、昭和四九年三月二二日午前零時頃下谷警察署所属の警察官らにより、横山隆一氏が左上腕骨々折等の傷害を負つた事件に関し、下谷警察署長が報道関係者に対し、横山隆一氏が「酔つぱらつていて、署内であれば、警察官に全治一週間のけがをさせたので、公務執行妨害罪、傷害罪の現行犯で逮捕した。その際、さらにあばれて自ら骨折したものである。」旨発表しましたが、真実は横山隆一氏が下谷警察署所属の警察官らに違法に下谷警察署内に連行されたうえ、監禁され、左上腕を折られたものであり、前記発表は全く事実と異なるものであつたことを認め、ここに謝罪いたします。

東京都知事 鈴木俊一 横山隆一殿

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